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1937年(昭和12年)7月7日、日本と中国が戦闘状態に入りました。海軍航空隊は同年8月15日、九州の大村基地を発進、折からの暴風雨をついて東支那海を飛び越え、中国の首都である南京の軍事施設を爆撃した。当時、大編隊を組んで海を渡ることは世界航空史に例がなかった。この渡洋爆撃に予科練出身者も参加し、予科練(少年航空兵)の声価を高めました。
1941年(昭和16年)12月8日、日本と連合国との間に戦争が始まりました。いわゆる太平洋戦争です。ハワイの真珠湾攻撃に成功した日本は、またたくまに太平洋の広範な地域を占領したが、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で大損害を受け、さらに同年8月アメリカ軍のガダルカナル島への攻撃から連合国の反撃が開始された。アメリカ軍を中心とした連合国は、豊富な物量を投じ、しだいに日本軍を圧迫してきた。
海軍航空隊は優勢な敵を阻止するために、必死必中の特別攻撃(特攻)で爆弾もろとも敵艦に体当たりをする作戦を敢行するにいたりました。しかし、敵の攻撃は息をもつかず、ついには日本の本土に接近してきた。もはや空からの守りだけでは祖国を救う方法はない。新しい特攻兵器が戦場に投入された。人間魚雷・回天・海竜・蛟竜、爆装モーターボート・震洋、人間爆弾・桜花、爆薬を抱えて敵艦に体当たりするフロッグマン・伏竜など、そのいずれもが若い予科練を中核とするものであり、空と海上と海中一体となって戦ったのです。
1945年(昭和20年)8月15日、日本は降伏しました。国土は荒廃していた。焦土と化した都市、食うに糧なき国民、この混乱状態の中から生き残った者たちは、予科練魂を発揮して立ち上がりました。荒れ果てた国土を復興しよう、それが戦死した戦友たちに報いる道でもある、と決意したのです。
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