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国際交流体験談


「私の国際交流〜手紙でつながる友情〜」

小畑 陽子さん

私は中3の夏、スーペリア市へ行きました。お世話になったホームステイ先に帰国後、お礼の手紙を書こうとしました。しかし英文手紙を書いたことのない私は、上手に気持ちの伝わる文章を書くことが出来ませんでした。 そこで私は、青少年ペンフレンドクラブ(当時:日本郵便友の会)入会し、英文手紙を練習することにしました。何人かの海外の友人は出来ましたが、手紙交換を長続きさせるのは、難しかったです。  私が中3の冬、青少年ペンフレンドからKOREAの女の子を紹介してもらい、文通が始まりました。ソウルに住んでいるアルムという子です。彼女とは、始め英語でやりとりをしていましたが、彼女は日本語がみるみるうちに上達し、日本語で手紙をくれるようになりました。 アルムは高卒後、就職してお金を貯めて、日本へ留学し東京の日本語学校で学びました。私が看護学生だった夏休みに、アルムは家にホームステイしに来てくれました。寝る間も惜しんで語り合ったのは、ステキな思い出です。  しかし彼女とは、いつの間にか音信不通に…5年程の空白期間を経て、今年の6月に連絡することができました。アルムは病気療養中のため連絡できなかったとの事でした。  私の出産を彼女は心から喜んでくれました。今年の「まい・あみ・まつり」には、アルムと私のBABYと旦那で参加したいと思っています。彼女と5年ぶりに再会するのが、今から楽しみです。青少年ペンフレンドクラブ=Pen Friend Club (略称:P.F.C.)「平和(Peace)」 「友愛(Friendship)」 「教養(Culture)」 の三信条を掲げて、児童・生徒が文通を通じて国内外の友だちと意見を交換し、友情を深め、平和な社会を築くことを目的として活動します。

「柳州市農業視察を終えて」

横張清彦 さん

 今回、11月11日より農業使節団として初めて中国を訪問し、長い歴史と国土の広さに圧倒されました。また昨年農業研修生を受入れ、日本農業の良いところを持ち帰ってもらいたいと田畑での実習をしながら、中国の農業事情を聞いたり、同じ白菜やキャベツの育て方の違い、出荷方法の違い等いろいろ話し合いましたが、気候や土質の違いもありお互いに理解しきれなかったのではないかとの不安が残っていました。その為、今回の親善訪問で、次年度の研修生に少しでも多く阿見町の農業を理解して欲しいと思い、今回の研修に参加しました。
 阿見町を出発して、上海、桂林から柳州市に入り、文副市長さんをはじめ多くの方々から歓迎を受けました。その後、柳江県に移動しながら、第一回研修生の閉さんに通訳してもらい、土質、潅水のことなどを聞き、レンコン畑や苺畑を視察しながら管理、品質の違いを話し合いました。また夜には、閉さんのお宅を訪問して、昨年の研修生の欧さん、廖さんにも再会し心から楽しい交流懇親会となりました。翌日は、欧さんの案内で、鹿寨県に行き、初日とは違った山間地での山芋、キャベツ、その他の野菜畑を視察、意見交換をしてきました。
 今回の研修に参加し、柳州市の気候や土質がわかり、また今回見聞したことを思い出しながら、昨年の受け入れの時とは違い、次回の研修生には阿見町の農業をもう少しわかり易く説明も出来るのではないかと思います。


「外国人の作る庭」

荒木伸一 さん

 私は、阿見町姉妹都市親善訪問団の一員として、10月4日から9日まで、スーペリア市に行って来ました。
  阿見町友情庭園をビリング公園の中心に作ると言う構想が市議会において可決され、委員会のメンバーである設計会社副社長のブルーさんが設計をした図面に是非アドバイスを、という町国際交流協会姉妹都市委員会の熱い要望を受け、現地に向かいました。
  成田空港から空路ミネアポリスへと、何事もなくミネアポリス空港に着きました。日本とは10度からの温度差を感じました。次に乗り換えてダルースに向かいます。
  途中から雲行きが悪くなり、どすんどすんという音が何度か繰り返されましたがやっとダルースに着きました。委員長で市議会の市議会副議長でもあるケビンさんが迎えに来てくれていました。私は英語が苦手なので恥ずかしく思いました。バスに乗り込みホテルへと向かい、それから歓迎夕食会に招かれ自己紹介を行い、私がホームビジットでお世話になるサラ婦人に、庭のことで「ホームビジットが楽しみですね」と言われました。
 次の日は、あいにくの雨でしたが、スーペリア市庁舎、友好庭園予定地の見学・説明を受けある程度の構想が浮かびました。夕食の後、図面を書き始めました。
  6日は、ホームビジットで夕方サラさんが迎えに来ました。1時間くらいで自宅に着き、是非庭を見てほしいと言われ、植木の剪定、庭石の置き方など、話がつきませんでした。その帰り道、阿見町姉妹都市の看板を見て目が熱くなりました。図面が途中なのでまた書き始めました。
  最後の日がやって来ました。昼食時、公園担当者と、設計会社のブルーさんに説明をして喜んでもらいましたが、私は、どこまで庭石の据え方が出来るかが楽しみです。サラさんは、かなり日本庭園を勉強しています。
  ケビンさんをはじめスーペリアの人たちには、大変お世話になりました。


「私の国際交流」

不破 睦子 さん

 私の国際交流は15年位前、中国人留学生との出会いから始まったように思う。
中国の学校と交流を始め、お互いの学校を訪問し合った。そのころから、外国人児童がどこの学校にも在籍するようになり、私は、日本語の取り出し指導にかかわった。
また、娘がアメリカに7年間留学していてその間幾度となくアメリカの学校を訪れたり、家庭に滞在したりしてきた。これが私の国際交流の始めで、必要に迫られ、中国語や英語を勉強している内に、日本語に強い関心を抱き、日本語の勉強を始めたのである。
国際交流が私にもたらしてくれたものは、日本語を学ぶことと、日本をもっと知ることであった。そして幸運にもこれらを生かすべく機会に恵まれ、2000年にJICAの日系社会ボランティアとしてボリビアで活動するチャンスを得た。フロンティア精神で大きな夢に立ち向かってたくましく生きてこられた日系人の方々に出会い深い感銘を受けた。そして、今、私たちがどこかに置き忘れていこうとしている日本の文化や習慣を日本から3万キロも離れたところでとても大事にして生活していらっしゃり、私はそこで2年間生活をして何ともいえぬ安らぎをおぼえた。
今、私が出会った日系人の方々のことを日本の子供たちに伝えていくことが私の国際交流の一つだと考えている。(写真は、ボリビアの子どもたちと、後列左から2人目)


「私の国際交流」(町国際交流協会会員紹介)

李 趁 さん

 私は李趁と申します。日本で天津甘栗で有名になった天津の出身です。現在、つくば市で日本人の夫と二人で住んでいます。
 天津は、北京の南方約100kmの、海岸に面した中国で3番目の人口約1000万の都市です。日本からは名古屋から直行便があり、3時間の所です。
 私は一度平成3年から留学のため2年間土浦に住んでいました。小さい時から日本語に興味があり、勉強していました。
 留学していた時に知り合った今の主人と4年前に結婚し、来日しました。結婚する前にも二度ほど通訳の仕事で日本を訪れたことがあります。
 私は昔の美しい日本語が好きですが、今の「ちょう〜」とか「マジで」というような言葉が嫌いです。しかし伝統的な日本文化が好きです。日本にも中国にもお互いに良い所があるので、紹介し合うべきだと思います。
 これからは、国際結婚した夫婦のグループを作り、国際交流活動を進めていきたいと思いますのでよろしくお願いします。


初めての中国訪問で感じた「中国五千年の底力」

緒方 美智子 さん

 昨年11月、中国柳州市へ阿見町文化使節団の一員として参加させて頂けたことは、私にとってこの上もない幸せであった。貴重な体験と、異国人との深い交流を得られたことは、想像以上に私の心を豊かにし、すばらしい宝を沢山手に入れる事が出来た幸せに対し、感謝の念でいっぱいである。
 日本文化は5千年の歴史を誇る中国から渡来したものである。華やかな歴史を持つ中国も内政事情により、経済や文化の発展は停止の状態で全世界から置き去りにされてしまった。その間に日本は母なる中国を追い越して経済大国となった。
今回使節団として上海に上陸し、国内機で桂林に飛び、桂林から柳州市へはバスで向かった。柳州市の数日間は中国の学生に日本文化の一部を披露して日本人の心を知らせた。

 バスに乗っての移動中に車窓から眺めた現在の中国の生活状況は決して豊かなものではない。経済発展の遅れが随所に見られた。現在の日本に比べると、何十年もの遅れが感じられた。しかし、国を支えているのは人間である。中国にはその人力と、広い国土には資源も豊富に有している大国である。
 同じアジア人である中国人はすばらしい能力を持った人種だと私は思っている。よってこの時代の遅れは人口の多い中国ならば間もなく追いつき、そして追い越してゆくに違いない。そんな中国の5千年の底力を感ぜずにはいられなかった。経済は貧しくとも人の心は決して貧しくはない。少なくとも私達使節団に対する関係者の努力は誠意と信頼によるものであり真実であったと私は信じている。
 柳州市の広大さに比べると、阿見町は相手にならぬほどの小さな存在でしかない。しかし中国側はその国の大小に拘らず先進国として日本に敬意を示してくれている。

 今彼らの誠意に答えて手を差し伸べなければ、伸びゆく中国に対していつ役に立つのであろうか? 小さな阿見町でも信頼されている今がその時であると私は思う。
 世界に向かって小さな阿見町から国際交流は立ち上がった。信頼されているならばどの国にも力を貸して上げるべきだと思う。自分の力に合わせてではあるが。
 経済の立ち遅れた中国からも人として見習わなければならない事は沢山あった。生活は豊かになったが、人の心は貧しくなった日本。もっと若者達を心豊かにそして思いやりのある日本人を育てる責任を再確認した旅であった。


国際交流と言葉

下平 直子 さん

 10年程前のことです。夫の赴任地・タイに着いたばかりの私たちに、その日からアパートの従業員や近くの店員が毎日にこにこと声をかけてくれました。
 タイ語のタの字も知らず、意味は分かりませんでしたが、その笑顔から何か温かいものを感じました。英語で応じてみましたが、彼らには英語が分かりません。彼らの言っていることを知りたい、早く話がしたいと思いました。それから毎日懸命に学校でタイ語を学び、早速彼らと話し始めました。
 最初は片言プラス身振り手振り、それから徐々に会話らしくなっていきました。そして彼らと一緒に大声で笑い、彼らと一緒に悩んだ時、あぁ分かり合えた、気持ちが通じ合えたと感じました。そのころから、彼らも私を仲間として迎え入れてくれた気がします。

 昨夏、スーペリア市の使節団が来町した折、協会員として楽しい経験をさせていただきました。まい・あみ・まつりのイベント『スーペリア・オン・ステージ』では、ボブ団長をはじめ皆さんにインタビューしたりマカレナ・ダンスを踊ったりして、とびきり愉快なひとときを過ごしました。バーベキュー昼食会や交流パーティーで同年輩のデイトご夫妻とあれこれおしゃべりしたこともよき思い出です。
 インターネットなどで世界が近くなった今、このスーペリア市との交流も、町内の外国人との交流もますます大切になっていくでしょう。言葉による相互理解の重要性も増すことと思います。交流の向こうに世界を感じながら、言葉を磨いていきたいと思います。
 そして『スーペリアの我が家に泊まりに来てください』と言ってくださったデイト夫妻に再会できる日が来ることを願っています。


スーペリア ホームステイで学んだこと

青山 裕香 さん

 私は、今年の夏、中学生親善大使として五日間スーペリアに行ってきました。担任の先生からスーペリアについて説明があったとき、私は迷うことなく応募しました。
 なぜなら、私は英語が大好きで、その力をためしてみたいという夢があったからです。

 小学校のころからECCに通い、英会話のおもしろさを知り、国際クラブにも所属してAETの先生方とも楽しい思い出をたくさんつくることができました。
 中学では、インタラクティブ・フォーラムに参加し、自分の言いたいことのすべてを伝えることができ、自分なりに充実感を味わうこともできました。こうした体験から、国際的な事柄に興味をもつようになりました。そして、外国の人と会話をしたり、一緒に生活することができたらなぁと、ずっと願っていました。
 だから、スーペリアの親善大使に選ばれたと分かったときは、長い間の夢がかなった喜びで胸がいっぱいになりました。

 しかし、出発の日が近づくにつれ、不安も大きくなってきました。生まれて初めての海外旅行に対する不安。自分の英語力が本場のアメリカでどこまで通じるのかという不安。そして何よりも、アメリカで生活を共にするホストファミリーがどんな人たちなのかということです。
実際にスーペリアに行ってみると、やはり英会話は学校で習うよりもずっと難しく、分かりずらいものでした。特に最初のころは、なかなか言いたいことが通じなくて大変でした。
 地元の小学生に話しかけられても何を言っているのか分からず、ただあいそ笑いをするだけの自分が情けなく思えてきました。そして話すことがつらくなり、日本に帰りたいと思うこともありました。

 しかし、そんな私を励ましてくれたのは、ホストファミリーのポイリアーさん一家でした。彼らは、分かりやすくジェスチャーを使ったり、ゆっくり話してくれたりして私の話も何度も聞いてくれました。
 とてもあたたかいホストファミリーの気持ちにふれ、しだいに勇気と希望が私の心にもどってきました。本当にホストファミリーには深く感謝しています。
 そんなホストファミリーやスーペリアの人たちとのふれ合いを通して数々のことを学びました。
 まず、英語はうまく使えなくても心と心の会話ができることを知りました。言いたい事を精一杯伝えようとする強い意志があれば、言葉の壁は解決できると感じました。
 また、アメリカの人に対する偏見も全くなくなりました。
 特に、同世代の中学生に対して、日本の中学生と比べて、みんな大人っぽく近よりがたい存在と思っていました。しかし、近所の人やお店の人など大勢の人たちが、目が合うたびに明るくあいさつをしてくれたり微笑んでくれたりしました。そのおかげで、私は安心して五日間を過ごすことができました。

 私たち日本人は、外国の人を見かけると、積極的に声をかけようとしません。しかし、アメリカの人々は私たち日本人に積極的に関わりをもってくれました。
 私はスーペリアの人たちが大好きになりました。短い期間でしたが、私にとっては、人種・言葉・文化の壁を乗り越えられたような五日間でした。
 これからも、こうした文化・教育・ボランティアなどの国際交流に進んで参加したいと思います。また、国際化が進む21世紀をむかえる今、自分自身が日本人であることに誇りをもち、外国の文化を尊重し、外国の人々とコミュニケーションをとろうという積極的な気持ちを持って生きていきたいと思います。


『私の国際交流』

石塚 みち子 さん

 私が国際交流に関心を持つようになったのは、娘が高校二年生のときのアメリカ留学の折、受け入れ家庭の皆さんはもちろんのこと、地域の人からも温かく迎えられ、いろいろな行事に参加するなど、とても充実した生活が送れたとの帰国談を聞いたときからです。
  私も何か恩返しはできないだろうかと考えていましたが、何から手掛けたら良いか分らないでいたとき『土浦ふれあいセミナー』という国際交流の勉強会があるのを知り、五回受講しました。私なりに考えたことは、まず手近なところで我が家へ外国の人を招待することでした。
  幸い主人の協力も得られ、この方法を今でも続けています。お迎えした外国の人と一緒に台所に立って日本料理を教えながら、彼らのお国料理も教えてもらっています。時には持ってきてくださったスリランカのカレーや紅茶に舌鼓を打ちながら談笑しています。
  食事をしながらの話題は自然に広い範囲に及び、彼らの国の習慣や文化についても学ぶことができ、とても楽しみです。セミナーで知り合った中国人のご一家とは家族同様の付き合いを続けており、今では「お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃん」と呼び合う間柄になりました。
  先日は大阪へ移転した中国人のお子さんから「今度泊りに行くからね」という可愛い電話をもらい、今からその日を指折り数えて待っています。
  これからもいろいろな国の人々をお招きして、交流を続けていこうと思っています。